人手不足を背景に、企業の人材派遣・人材紹介サービスへの依存度は年々高まっています。厚生労働省の集計によれば、労働者派遣事業の売上高は令和6年度に9兆9,005億円(前年度比9.4%増)に達し、有料職業紹介事業の手数料収入も9,835億円(同17.6%増)と拡大が続いています。市場全体が伸びる一方、許可要件の維持やコンプライアンス負担、賃上げによるコスト増から、中小の派遣・紹介事業者では第三者への譲渡を選ぶ動きが目立ち始めています。
業界の構造とM&Aが起こる背景
人材派遣・人材紹介業でM&Aや事業譲渡が増えている背景には、この業界ならではの構造要因があります。ここでは主な4つの要因を順に見ていきます。
第一に、業法上の許可制です。労働者派遣事業はかつて「一般労働者派遣事業(許可制)」と「特定労働者派遣事業(届出制)」に分かれていましたが、2015年9月30日施行の労働者派遣法改正で特定労働者派遣事業は廃止され、許可制に一本化されました。有料職業紹介事業も許可制で、基準資産額(資産総額-負債総額)が事業所数×500万円以上、現金・預貯金が150万円+(事業所数-1)×60万円以上という資産要件を継続的に満たす必要があり、小規模事業者にはこの財務要件の維持自体が負担となり得ます。
第二に、社会保険加入の徹底や同一労働同一賃金対応などコンプライアンス負担の増加です。賃上げ機運の広がりで賃金水準を引き上げる動きが強まり、運営コスト上昇が収益を圧迫しています。
第三に、人手不足の深刻化で市場自体は拡大基調にある一方、スタッフの確保競争激化に伴う待遇改善の先行投資が、体力の乏しい事業者には重荷となっています。
第四に、他業種と同様に経営者の高齢化と後継者不在の問題があります。後継者不在のまま事業を続けられなくなった創業社長が、事業の存続とスタッフ・取引先の雇用維持を目的に、同業大手やファンドへの譲渡を選ぶケースが増えています。加えて、大手による中堅・中小事業者の買収を通じたエリア・サービス領域の拡大、専門特化型(IT・医療・製造など)事業者の取り込みによる再編も進んでいます。
最近の動向
人材サービス業界では、市場全体が拡大する一方で事業者の淘汰も進むという、二つの動きが同時に起きています。それぞれを公的統計で確認します。
まず市場規模です。厚生労働省「労働者派遣事業報告書」(令和6年度集計、速報値)によると、労働者派遣事業全体の年間売上高は9兆9,005億円(前年度比9.4%増)、派遣先への派遣件数は約86万1,926件(同7.9%増)と、いずれも増加しました。売上高ランク別では、実績事業所33,207のうち5,000万円未満が合計14,301(全体の約43%)を占め、業界のかなりの割合が小規模事業者で構成されています。有料職業紹介事業も「職業紹介事業報告書」(同集計)で手数料収入9,835億円(前年度比17.6%増)と成長を続けています。
一方で、事業者の淘汰も進んでいます。帝国データバンクの調査(2025年1〜8月)によると、労働者派遣業の倒産件数は59件で前年同期(38件)比55.3%増となり、比較可能な2000年以降で2013年1〜8月(61件)に次ぐ高水準でした。同調査では、人件費上昇や待遇改善のための運営コスト増加、コロナ禍のゼロゼロ融資の返済負担などが収益を圧迫し、倒産に至るケースが多いと分析しています。市場拡大下での倒産増加は、体力のある大手・中堅への集約が進んでいることを示唆しています。
後継者難の面については、帝国データバンク「全国『後継者不在率』動向調査」(2025年)によると、全国の後継者不在率は50.1%(前年比2.0ポイント改善)と7年連続で改善が続く一方、小規模企業に限ると57.3%と依然高い水準となっています。帝国データバンクは、M&Aなど第三者への引き継ぎが不在率改善の一因になっているとみています。人材サービス業界でも、後継者のいない事業者が同業大手やファンドへ事業を引き継ぐ動きは、今後さらに広がると考えられます。
実例:人材サービス大手の株式会社ウィルグループ(東証プライム上場)は2025年10月、医療・福祉業界に特化した人材紹介会社の株式会社HR CAREERの株式を取得し、子会社化したと発表しました。主力の人材派遣に比べ規模が限定的だった人材紹介事業を、専門特化型事業者の取り込みで強化する動きの一例とみられます。
この業界のM&Aの特徴
人材派遣・人材紹介業のM&Aで買い手が重視するのは、主に次の4つの資産です。
- 登録スタッフ基盤:稼働中・登録中のスタッフ数と定着率。すぐに派遣・紹介につなげられる人材プールは、譲渡後の売上継続性を左右する中核資産です。
- 取引先・求人枠のネットワーク:継続発注のある派遣先企業や紹介実績のある求人枠との関係。特定業種・エリアに強い取引基盤は、買い手の新規開拓コスト削減につながります。
- 労働者派遣事業・有料職業紹介事業の許可:取得には準備期間と資産要件の充足が必要なため、既に許可を保有し実績のある事業体そのものに価値が認められます。
- 営業・コンサルタント人材:求人開拓や候補者面談を担う営業・キャリアコンサルタントのノウハウと人脈。属人性の高い業界だけに、キーパーソンの継続在籍が譲渡条件に含まれることも珍しくありません。
スキームは株式譲渡が中心ですが、特定の事業所や業種特化部門のみを切り出す事業譲渡が用いられることもあります。企業価値評価の目線は稼働スタッフ数や派遣先の継続性、営業利益の安定度によって大きく変動するため、一律の相場観で語ることはできません。自社の売却価格の目安を把握したい場合は、専門家への相談がおすすめです。
売り手・買い手それぞれの視点
売り手にとって
売り手である中小の派遣・紹介会社経営者からは、譲渡価格や譲渡後の条件だけでなく、スタッフの雇用や取引先との関係を引き継げるかも重視されやすいです。人材が事業の中心となる業界だけに、譲渡後もスタッフの雇用条件が大きく変わらないか、取引先への影響を抑えられるかが、相手先を選ぶうえでの判断材料になりやすい点です。また、許可要件の維持や社会保険手続きなどバックオフィス負担の重さから、大手グループ傘下で管理体制を強化できる点をメリットと捉える経営者も少なくありません。
買い手にとって
買い手にとっては、許可取得の手間をかけずに登録スタッフ基盤や取引先ネットワークを一括で獲得できる点が最大の魅力です。特に特定業種(医療・製造・ITなど)や特定エリアに強みを持つ事業者を取り込むことで、自社では手薄だった領域を素早く補完できます。一方で、譲渡後も営業やキャリアアドバイザーが定着するかや派遣先企業との契約継続性は、デューデリジェンスの重要な論点になります。
人材派遣・人材紹介業の売却相場の目安(実測データ)
中小企業庁「登録支援機関を通じた中小M&Aの集計結果」(2022〜2024年度に成約した中小M&Aの譲渡側報告)によると、人材派遣・人材紹介業が含まれる大分類「サービス業(他に分類されないもの)」のPER(株式譲渡価額÷純利益)は中央値13.9倍、四分位範囲7.5〜29.2倍(n=253)でした。2024年度のみ集計のEV/EBITDAでは中央値7.8倍(n=147)です。
たとえば年間の純利益が2,000万円の会社で考えてみます。中央値13.9倍を単純に当てはめると約2.8億円、ばらつきの幅(四分位範囲)で見ると約1.5億円〜約5.8億円が、実際に成約した価格帯の目安です。純利益×倍率の機械計算であり、個社の売却価格を保証するものではありません。
なお、この倍率試算は利益が出ている会社を前提にしています。赤字や利益がわずかでも、純資産や顧客基盤・人材・許認可が評価されて売却が成立するケースはあります。詳しくは赤字会社でも売却できる?買い手がつくケースと評価されるポイントで解説しています。
この倍率は大分類全体の集計であり、人材派遣・人材紹介業に特化した値ではありません。業種ごとの比較や倍率を使った試算の考え方は会社売却の相場は業種でいくら違う?成約1.4万件の実測倍率で詳しく解説しています。
まとめ
- 市場全体は人手不足を背景に拡大が続く一方、コンプライアンス負担やコスト増から中小事業者では倒産・M&Aによる淘汰・再編が進んでいます。
- M&Aで評価されるのは、登録スタッフ基盤・取引先ネットワーク・派遣/紹介の許可・営業コンサルタント人材の4つです。
- 後継者不在率は全国的に改善傾向にあるものの小規模企業では依然高く、事業と雇用を維持する手段としてM&Aを検討する経営者が増えています。
次に読む
- 会社売却の進め方完全ガイド:譲渡の検討から成約までの流れを一通り把握したい方向けの解説です。
- 小規模・個人事業のM&A:小規模な派遣・紹介会社ならではの譲渡の進め方や留意点を紹介します。
- 後継者不在問題と第三者承継:後継者がいない場合にM&Aで事業を引き継ぐ選択肢を解説します。
出典
- 厚生労働省「令和6年度 労働者派遣事業報告書の集計結果(速報)」(2026年3月31日公表)
- 厚生労働省「令和6年度職業紹介事業報告書の集計結果(速報)」(2026年3月31日公表)
- 帝国データバンク「労働者派遣業の倒産動向(2025年1-8月)」(2025年9月8日発表)
- 帝国データバンク「全国『後継者不在率』動向調査(2025年)」(2025年11月21日発表)
- 厚生労働省「職業紹介事業パンフレット-許可・更新等手続マニュアル-」(令和7年4月版)
- 厚生労働省「平成27年労働者派遣法改正法の概要」
- 株式会社ウィルグループ「株式会社HR CAREERの株式取得(子会社化)に関するお知らせ」(2025年10月1日)

